意見が偏ってしまうときに思い出したい3つの考え方

こんにちは、チャイフ(@chaif123)です。

「水掛け論」と言う言葉があります。

水掛け論とは

両方が互いに理屈を言いあって解決しない議論。

「AかBか」のような主張になっている場合がほとんどです。

僕自身もよくやってしまうので自戒も込めているのですが、他者が水掛け論をしているのをよく聞いていると、「どちらも正しい場合もあるな…」と、思ったりします

ということで今回は、そんな話題です。

「自分が正しい」or「相手が正しい」の2択で考えがち

「自分が正しい」か「相手が正しい」の2択で物事を見てしまうのは本当にありがちな話で、特にtwitterでよく見受けられます。

Aという意見に対して、「Bだ!」とか「Aと言い切るのはおかしい」みたいなクソリプが飛ぶのは日常茶飯事ですね。

もちろんtwitterは140字程度のやり取りしかできないので別にいいのですが、これをリアルのコミュニケーションでもしてしまうと、わりと問題です。

0か100かで考えがち

ものごとをゼロかヒャクかで偏った考えをしてしまう人って、多いですよね?

相手の意見に少しでも同意できないところがあったら、その足りないところを糾弾しににいくような。例えば他人の 90点というスコアを称賛したり肯定せず、足りない10点を追究し、否定的に見るような姿勢。このようなコミュニケーションでは軋轢を生んでしまうほか、可能性の幅を狭めてしまいます。

自分の意見と相手の意見をフラットに並べてどちらも一理ある、とか、どっちも間違えているかもしれないから第3者の意見を聞いてみるとか、そういう視野の広さが必要なんだと思うのです。

視野を広く、立体的に物事を見ること

そこで、視野を広げて、どちらの意見も取り入れるような、あるいは両者以外のところに答えを見出すような考え方を3つ紹介したいと思います。

止揚(アウフヘーベン)

第一に、止揚です。

・止揚とは、ドイツの哲学者ヘーゲルが弁証法の中で提唱した概念

・あるものをそのものとしては否定するが、契機として保存し、より高い段階で生かすこと。

・矛盾する諸要素を、対立と闘争の過程を通じて発展的に統一すること。by Wikipedia

要は止揚とは、対立・矛盾する2つの意見を、どちらも完全に否定してしまうことをせず、両者の要素を含んだ概念として、高い次元に昇華させることです。

お互いの意見がぶつかってしまったときに、この止揚という考え方を思い出し、どちらも活かすような方向性に持っていくのが一つの手段になりうるでしょう。

(©︎Hitopedia

中道

第二に、「中道」です。

仏教では、「中道」という考え方があります。

快楽でも禁欲でもなく、極端に偏らずにあるべきという教えを「中道」としています。琴の糸に例えて「緩すぎても張りすぎてもいい音は出ない。ちょうどいい張り方をして初めていい音が出る」とも言われています。

やや拡大解釈ですが、複数の意見があった場合に、「そのどれか」という両極端ではなく、ちょうどいいバランスを探し、「中道」を歩む姿勢も時には重要かもしれません。

第3の案を考える

私たちはえてして、強いか弱いか、厳しいか甘いか、勝つか負けるか、物事を「二者択一」で考えがちだ。しかし、このような考え方には根本的な欠陥がある。(中略)Win-Winは、第3の案の存在を信じることである。by『7つの習慣』

スティーブン・R・コヴィー氏著『7つの習慣』の、第4の習慣「WIn-Winを考える」の引用になります。

正確に言えば、Win-Win or No Deal を勧めています。また本書では、Win-Lose、Lose-WinをWin-Winの対比として用いています。前者は権威や力によって自分を通し、相手を負かす考え方、後者は自分を殺して思考停止で相手に譲歩する考え方です。

つまり、どちらかがLoseになってしまう結論はできるだけ避け、どちらの意見も活かせる方法を探す。もしどうしても見つからない場合は、No Deal、つまり仕切り直しを選択するという考え方です。

「自分か相手のどちらか一方が勝ち、もう一方が負ける」という2択のパラダイムから抜け出し、第3の案に目を向けてみてはいかがでしょうか。

自分の中で意見が0 or 100になることもある

いかがでしたでしょうか。

  • 止揚:対立・矛盾する2つの意見を、どちらも完全に否定してしまうことをせず、両者の要素を含んだ概念として、高い次元に昇華させること
  • 中道:両極端ではなく、ちょうどいいバランスを探すこと
  • 第3の案を考える:どちらかがLoseになってしまう結論はできるだけ避け、どちらの意見も活かせる方法を探すこと

紹介した3つの教えは、出典が違うだけで、全て本質的には同じことを言っていると思います。世の中の教えは意外と共通しているということですね。

また、この考え方は1人で内省するときにも応用できます

悶々と考えごとをしているときに、いつの間にか視野が狭くなり、「AかBか」「0か100か」のような考えになってしまうことはよくあります。

そんなときに、選択肢同士を組み合わせてみたり、選択肢同士の間をとるような表現を探してみたり、また別の第3の案がないか模索してみたり、というアクションが効果的になるかもしれません。ブレインストーミングの用語で「発散と収束」…とか呼ぶらしいですよ。

それでは。

チャイフ

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